遺書を書いた話

タイトルの通り、遺書を書いたことがある。

 

日本の上空を隣国のミサイルが通過したあの朝のことだ。

 

私はその日寝つきが悪く、一睡も出来ずにダラダラとネットのくだらない文章に目を通しながら、今からでも睡眠を取るべきかこのまま起き続けて仕事にいくか、そんな事を考えていたのを覚えている。

 

眠れないながらも瞼を閉じて数分、耳慣れない不快な音でスマートフォンが不穏な知らせを告げた。

アパートのすぐ向かいにある市内放送用のスピーカーからも同じ不快音が響き渡り、慌ててテレビをつければ全局テロップと飛行場のライブ映像が延々と流れ続けていた。

 

寝不足の脳は数分のパニックの後、あぁ、死ぬのか、と思った。

 

死はこうして突然に訪れるものだと、急激に脳が感情と状況を整理し始めた。

 

あれが俗に言う悟りというものだったのだろうか。

 

 

眠気の吹き飛んだ頭で、まず手に取ったのはペンとノート。

どちらもいつもテレビ台の横の収納に入っている。

念の為油性インクのものを選んだ。

それからステンレスのタンブラー。

ビビッドなピンク地に桜の花が描かれた、大型でお気に入りのものである。

 

全日空墜落事故の際、遺体も焼失した中で遺書の入ったステンレスタンブラーだけは燃えずに遺族の手に渡ったという記事を咄嗟に思い出したからだ。

 

 

死ぬのだ。

私は、今日ここで。誰も居ないアパートで。

今日全てが終わるのだ。

 

 

突如直面した「死」への恐怖に震えながら、ペンを持つ。

 

何を記すべきか。

何を遺すべきか。

何を伝えるべきか。

 

迷うことは何も無かった。

私が最期に残したかった言葉は、大切な人達への感謝と「愛している」だけだった。

本当にそれだけだった。

それ以外は何も浮かばなかった。

ただただ、感謝と愛情を伝えきれなかったことだけが生涯での未練だった。

 

日頃、不平不満罵詈雑言を手当り次第に撒き散らしている私が、である。

 

愛されていた。

愛していた。

伝えてこれなかったけれど、愛していた。

生まれ育ったすべての環境に、出会ったすべてのものに感謝している。

 

それだけをただ、まとまらない文章で泣きながら書き殴った。

 

そしてノートから震える手で引きちぎったそれら数枚を雑に折ってタンブラーに突っ込む。毛布を頭から被ってうつ伏せになり、体の下に隠すようにそれを抱えて衝撃を待った。

 

来ない。

 

テレビを見ても相変わらず飛行場の映像。全然爆発しない。

 

あれ?

なんかもっとこう、はだしのゲンみたいになるんじゃないの…?ピカドン

一瞬のうちにボワッとこう、さぁ…

ん?まだ来ない?

なんか避けて?おん?

え、あれ、あの、そうこうしてるうちに出勤しなきゃいけないんですけど…風呂入らなきゃいけないんですけど…え、あ、やだ通り過ぎたの?あ、そう…そうなの~…そっか~死ななかったか~…そっか~…生きてんのか~……そっか~……生きてて良かった~~~~~~~!!!!!!ヒャッホ~~~~ウ!!!!!

 

 

つってね。

 

 

結局その後は普通の一日になりましたけどね。

今となれば笑い話だけど、笑い事じゃなかったんよ。

朝からあれやるのやめて欲しいよね。

仕事中にしてほしいわ。

 

でね、なんでそんな話を思い出したかと言うとですね、しばらく使ってなかったタンブラーにコーヒー入れようとしたら汚ぇ紙切れが出てきましてね。

 

急激にあの日の記憶蘇ってきて、今赤面してベッドで足バタバタさせたところ。

 

 

でもあの日の後、伝えたかった人にきちんと愛していると伝えました。

死ぬ間際に後悔しないようにね。

たぶん返事は「いや、うるせぇわ」って言われたような気がします。都合の悪いことすぐ忘れちゃうからよく覚えてないけどね。